頭山満-その精神に倣い我が道を拓く

頭山精神。天道精神とも日本精神ともいわれるが、統括していえば「まことの道」人間が歩むべき真実である。

人間は魂を鍛えることだけを考えておればいい。あとは何もいらぬ

頭山満翁に関しては、翁の現役時代である明治の頃より今までずっと多くの人に語られつつも、いまだかつて、「頭山とはなにか?」という問題に対して明確な答えを打ち出せた人はいない。
せいぜい、玄洋社、大アジア主義、巨頭、右翼、右翼でも左翼でもない、ラス・ビハリ・ボース、金玉均、タゴール、孫文、蒋介石、広田弘毅、フィクサー、国家主義云々といったところか。がしかし、これらの文言は、頭山が具備するところの卓越した精神が動いた結果をただ端的に表現したにすぎず、あるいは頭山を語る座標の一部でしかない。
頭山の軌跡を縷々編纂することはできても、「頭山とは何か」、ということを言葉や文章で表現することは不可能だったのだ。

また、サムライの時代に名を上げた武将を以って頭山満と同じく歴史上の偉人と語る人がいるが、思傾してみれば、それがたとえ秀吉であろうが信長であろうが家康であろうが、彼らは、時代という背景に反駁することなく、あるいはその潮流を生かしつつ世を踏み台にして功を鳴らせた、すなわち功名心の獅子となる。
頭山とは全てが違う。
頭山は、近代化、あるいは欧化の波荒れるときにあって、廃刀しつつもサムライとして地に足をつけ、己の利を捨てて国に義を尽くし、身を殺して仁を成し、日本人としての操を固くしつつも一方では文明の許すべきものを許し、東西の和合調和を頼み、古くても善きものは温め、良からぬものは潔く捨て、功を欲しがらず、狙わず、地位も名誉も求めなかった在野の獅子である。語られる戦国武将とは根本も成り立ちも全く違うのだ。

頭山満は、日本人が千年以上に亘って考え、考え、考えつくしたところの答えすなわち「武士(ヒト)のかくあるべき姿」を近代社会で表現しつつ生ききった、本物のサムライなのであり、あるいは霊長類としてあるべき思想、真実を自らの行動にして世に示しつつ、世間において人はどこまで大きく生きれるかという手本を、理想論としてではなく実践的に知らしめた「人間の手本」なのである。この精神を倣い、学び、同じく実践すれば、誰にでも道がつき、拓かれる。

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